タイトル−のんび便り
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 ◆ 春に向って
 2015/04/25

4月、卯月(うづき)とも呼ばれる月もそろそろ終わりに近づいた。その名の由来とされる卯の花(空木)はまだ咲いてはいないが、山の麓では、まだ残る山桜系の花に加えて、山麓公園では八重桜が咲き始めている。今年は、街中の桜との時間差が著しいように思うが、その個体差も大きいようで、まだ蕾のものも見受けられる。
そんな桜たちを横目に、山麓公園辺りを散策すれば、山吹はすでに咲き揃い、山ツツジも開花の時期に近づいたらしく、オレンジ色の蕾は弾けそうに膨らんでいる。心和む、なんとも良い季節である。

先日、ラジオニュースで山梨リニア実験線で行われた走行試験において、有人走行で最高速度となる603km/hを記録したと、自慢げに報じていた。実現そのものが怪訝されているリニア新幹線、肝心の問題点は棚上げにしたまま、最高速の記録を伸ばして何の意味があるのか!と声を上げたくなる。
海外メディアでは、結構冷ややかな見方をしているようで、経済効果も見込めない事業への法外な予算と、安全性も問題視されているようだ。このリニア新幹線が、海外への技術売込みのデモンストレーションと考えるのが、一般的とも思えるが、国の、地域の環境を破壊して、技術売り込みもないだろうと思ってしまう。それで誰が儲けるのか、そのハッキリしたカラクリは見えてはこないが、事業失敗、海外売り込み失敗、そして、壊された環境のみが残ったなどということにさせたくはない。資源のない国といわれるわが国だが、四季があり、水があり、種をまけば芽が出る、この恵まれた環境こそが、この国の資源と思っている。次世代に何を残せるのかを考えた時、この馬鹿げた計画は止めなければと心底思うが、それは原発に対しても同じことだろう。今を生きる大人たちの責任として真剣に考えたいものである。

春本番に包まれようとしている山麓公園辺りを歩きながら、そんなことを考えていた。そんな思いを知ってか知らずか、そよぐ風に、芽吹き始めた木の枝が揺れている。この山の麓が華やかに彩られるのも、もうすぐである。

◆    ◆    ◆
【写真】
一枚目:ご存知、山吹の花です。毎年この時期に、山麓を山吹色に飾り付けてくれます。
二枚目:紅葉苺の花です。6月の中旬には、オレンジ色の実をつけます。当然食用可能ですが、赤い色の木苺に比べると、多少味は落ちますね。
撮影日:2015年4月22日。
撮影・コメント:クロコ



 ◆ 早春に
 2015/03/08

2015年の年が明けて、すでに3ヶ月が過ぎる。弥生3月、いよいよ春の気配も漂い始める頃となる。3月の6日は啓蟄、啓は「開く」、蟄は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」の意味。
つまり啓蟄は、冬ごもりしていた虫が春の到来を感じて、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくることを表した言葉である。春の季語でもある。
「春は名のみの風の寒さや」。早春賦の歌詞のように、春とは名ばかりで、まだまだ風が冷たく、寒さの残るのがこの3月、啓蟄は過ぎたものの寒暖の差はかなり大きい。この週末も雲が広がり、最高気温は10℃を上回るようだが、風は冷たく肌寒い。
そんな3月、2ヶ月の冬眠から目覚めた「のんび荘」を横目で見ながら、山麓公園辺りを散策してみれば、茶色の中の緑色が目に付くようになってきた。「繁縷(はこべ)」、「種漬花(たねつけばな)」等、小さな野草の花も見受けられる。ここの自然は、活動期に向って動き始めたようだ。

国内の政治を始め、諸々の不穏な動きにかなり不安な心持にさせられる昨今だが、当然のように繰り返す自然の営みのサイクルを感じるたびに、ホッとさせられる。これ以上この自然が壊されないことを祈りたいが、その自然環境を含めて、どんな社会と環境を次世代に残してやれるのだろうかと思いを馳せるこの頃、やはり、今を生きる大人たちの責任はかなり大きく重いものと感じる。
そんなことを考える私の頬を、何事もないように早春の風が撫ぜていく。この山麓が命のエネルギーで満ちるのはもうすぐだ。

◆    ◆    ◆
〇写真
一枚目:妙琴ツツジ園で見つけた繁縷(はこべ)の花。まだ開き始めかな?
二枚目:やはり妙琴ツツジ園で見つけた、種付け花(たねつけばな)。これも開き始めと思いますが、小さくて見逃すところでした。
撮影日:2015年3月初旬
撮影・コメント:クロコ

 ◆ 師走(しわす)
 2014/12/30

 師走(しわす)。旧暦の12月を表す言葉だが、今では新暦12月の代名詞になっている。その語源は諸説あるようだが、12月は皆忙しく、普段は走らない師匠さえも趨走(すうそう)することから「師趨(しすう)」と呼び、これが「師走(しはす)」になったと言う説や、師とは法師(坊さん)で、法師が各家で経を読むために馳せ走る「師馳月(しはせつき)」であるとする説などが有力のようだ。今年の12月もあとわずか、明日はもう大晦日である。

 そんな師走(しわす)の最中に行なわれた衆院選、投票日は14日。目論んだ者の思惑通りかどうかは知らないが、その投票率は戦後最低となり、結果は知っての通りである。そのことが吉と出るのか凶と出るのか、徐々にその形は見えてくるだろうが、企業なども含めて、強きもの優先の、弱者にはかなり厳しい世の中になるのは確実のように思える。
 後々に「あの時の判断が間違ったため・・・」と言われないためにも、今後の動きを注意深く見ていく必要があるが、30年後、いや、50年後100年後、未来を生きるものたちのためにどんな社会を残せるのか、もう一度真剣に考える必要があるだろう。やはり、今を生きる大人たちの責任は、かなり大きい。

 愚痴っていても始まらぬ、まだまだこれからだ!ということで、来年、2015年が全ての人にとってより良い年になることを祈って、今年最後の「のんび便り」とする。

◆    ◆    ◆
なお、筆者多忙のため、今年最後の「のんび便り」は写真がありませんが、「のんび荘」近辺の自然はまだまだ元気です。
その「のんび荘」、1月と2月は冬眠休業に入ります。その冬眠から目覚めた頃、またここでお会いしましょう。
来年もよろしくお願いいたします。
コメント:クロコ


 ◆ 霜月(しもつき)
 2014/11/15

 11月。「霜月(しもつき)」とも呼ばれている。旧暦を指す言葉だが、今は新暦の11月の別名として用いられている。これは他の月と同様である。
「霜月(しもつき)」は文字通り霜が降る月の意味だが、他に「食物月(おしものづき)」の略であるとする説や、「凋む月(しぼむつき)」「末つ月(すえつつき)」が訛ったものとする説もあるようだ。また、「神楽月(かぐらづき)」、「子月(ねづき)」の別名もある。
 そんな11月、7日は立冬となる。この立冬から立春までが“冬”ということになるが、夏の終わりから寒暖の差が激しく、まだ秋を満喫したとは思えない私としては、暦上とはいえ、早すぎる冬の到来である。
 先日までとは打って変わって、まるで12月の下旬を思わせるような気候の中、吹き付ける冷たい風を背に感じながら、妙琴公園辺りを散策してみた。ピークを過ぎたモミジの葉は、強い風に煽られはらはらと落ちてくる。広がる落ち葉の絨毯は、秋の終わりと冬の到来を感じさせる。立冬を過ぎ、もう“冬”と呼ぶべき季節になったのだろう。

 先月のことだが、なんとも嬉しくないニュースが飛び込んできた。「リニア新幹線、着工認可」である。山積みの問題点が何一つ解決されないままに、国もJR東海自体も事業としてペイ出来ないと断言しているものが、なぜ認可されてしまったのか。9兆円とも10兆円ともいわれるこの事業だが、頓挫すれば、その“ツケ”は国民に回ってくるのは明らか、“バラマキ”といわれる今の政権だが、次世代に残すものが、壊された環境と多大な借金では、なんとも情けないと思うのはわたしだけだろうか。
 そういえば、10月は神無月とも呼ばれている。飛び込んできたニュースからさすが“神のいない月”と思ったが、“10月は出雲大社に全国の神が集まるため出雲以外に神がいなくなる”というのは、中世以降に出雲大社の御師が全国に広めた民間語源ということ。いわゆる俗説らしい。神を祭る月ということから「神の月」というのがその語源の一番の有力説とされているが、なんにしても、人の行なう所業には、神々も呆れていることだろう。
 そんなリニアは、この山麓公園のすぐ上を、横を流れる松川を横切って通ってゆく。それを知ってか知らずか、山麓の木々たちは、今年も来春に芽吹く準備に余念がないようだ。来月はもう師走、豪雪に見舞われた昨年の冬だったが、今年はどんな冬になるのだろう。

◆    ◆    ◆
〇写真
一枚目:妙琴公園入り口付近の風景。色付いた葉は、はらはらと落ち、落ち葉の絨毯を作っていきます。
二枚目:釣り橋付近から見た、「のんび荘」の紅葉。残り少ないながらも、色鮮やかに館を飾り立てています。
撮影日:2014年11月14日。
撮影・コメント:クロコ


 ◆ 長月(ながつき)
 2014/09/20

 筆者の諸事情により更新が滞った「のんび便り」、三ヶ月ぶりの更新である。
 長月(ながつき)、太陰太陽暦の9番目の月、つまり旧暦の9月ことだが、現在では新暦9月の別名としても用いることが多い。これは他の月と同様だろうか。この長月(ながつき)と言う呼び名は、正直あまり頻繁には使われないように思うが、その語源には諸説あるようである。
「夜長月(よながつき)」の略説、「長雨月(ながあめつき)」の略説、「稲刈月(いなかりつき)・「稲熟月(いなあがりつき)」・「穂長月(ほながつき)」の説、「名残月(なのこりつき)」が転じたという説など、かなりあるようだが、ネットで調べた限りでは、夜がだんだん長くなる「夜長月(よながつき)」の略という説が一番有力とのことだ。
これが別名となるともっと多いようだ。色どり月(いろどりづき)、祝月(いわいづき)、詠月(えいげつ)、菊開月(きくさきづき)、菊月(きくづき)、晩秋(くれのあき)、玄月(げんげつ)、建戌月(けんじゅつづき)、青女月(せいじょづき)、竹酔月(ちくすいづき)、寝覚月(ねざめづき)、晩秋(ばんしゅう)、暮秋(ぼしゅう)、紅葉月(もみじづき)など、その名からは、その季節の情景と命名した意味・意図が伝わってくる。

 朝晩の冷え込みが例年になく著しくなってきた今年の9月、まるで10月後半か11月初旬のような気候である。このまま、秋の季節を感じないで、冬に向うのだろうかと、やや心配にもなってくるが、「のんび荘」近くの山麓公園辺り、晴れた日などの陽だまりは、穏やかな秋の香りを感じることが出来る。野草たちがこの気温の変化をどう感じているのか分からないが、彼らは夏の終わりを感じて種(しゅ)の保存のための準備に余念がないようだ。
 よく「自然界は弱肉強食」というこという。しかし、本来自然界の仕組みは「共存共栄」と言ったほうが正しいだろう。それでなくては、強者と思われている種(しゅ)も滅んでしまうことになる。
この星の自然とは無縁には生きられない我々人類、社会形成の上で、その簡単な答えにたどり着けるのはいつになるのだろう。
秋に向けて、花から結実へ。野草たちの振る舞いに、そんなことを考えながら歩く私の頬を、秋の香りを乗せた風がなぜていった。多分、今年の秋も短いのだろう。この麓の木々が色付くのはいつごろになるのだろうか。

◆    ◆    ◆
〇写真
一枚目:大錦草(おおにしきそう)。街道から「のんび荘」まで下る道途中の妙琴ツツジ園で見つけたもの。
二枚目:秋の田村草(あきのたむらそう)。「のんび荘」川向こう、妙琴公園での撮影。
撮影日:2014年9月8日、及び9月12日。
撮影・コメント:クロコ

なお、2014年9月4日、9月8日・12日に撮影した画像をFacebookにあげてありますので、宜しければそれもどうぞ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.694935570575607.1073741843.421377304598103&type=1
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.701135753288922.1073741844.421377304598103&type=1


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