タイトル−のんび便り
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 ◆ 10月のイベント
 2016/10/07

 筆者(私)の諸事情から、かなり滞っているのんび便り、「年が明ける前に」ではないが、なんとか3ヶ月ぶりに投稿である。故あってなかなか野草の写真撮影も行かれず、それも一因の更新の停滞なのだが、自然の移り変わる中で、カメラ片手の山麓散策ができないのは、結構フラストレーションが溜まるもの、それゆえ、少々鬱気味の昨今の私だろうか。
 言い訳が長くなったが、撮影した野草写真がないこともあり、今回は毎月のんび荘で行われている「のんびdeライブ」の話題を載せることにする。毎月ということは、当然、今月も行なわれるのだが、10月は10日の体育の日。今年最後の野外開催の予定である。
 このライブ、2011年10月2日から、アマチュアを中心のオープンマイクとして始めたものだが、毎回、主催の相棒の中山氏と、何人来てくれるのか心配しながらの開催だった。人の少ない時も多々あったが、継続は力、それなりに周知されるようになってきたのは嬉しいことである。
 一応、今回は5周年ということで、なにやら企画も考えたかったのだが、時間もないことから、当日に諸々のさい配をするつもりである。

 国の動きに、不安のみが圧し掛かってくるように感じる昨今、何がどう決められても、実際は見守るしかない立場のものには、参院予算委員会のラジオ中継の討議が妙に腹立たしく思える。経済主動といえば聞こえは良いが、一部の大企業ためと思える政権の動きのその先には、軍事化への道が見え隠れする。
 次世代のために何をすればよいのか、よくは分からないまでも、せめて、伝えられる答えの一つくらいは残したいものだ。

 さて、三日後に控えた「のんびdeライブ」、時代を見据えたメッセージソングが飛び出すか否かは分からないが、天候を気にしながら、5周年ということで、PAにいつも徹している筆者も、一曲くらいはと思いながら、当日を待つことにする。


◆    ◆    ◆
【写真】
一枚目:昨年撮影した、犬蓼(いぬたで)です。
二枚目:昨年の10月12日に行なわれた「のんびdeライブ」の様子。結構寒かった記憶があります。4周年目でした。
撮影・コメント:セット


 ◆ 文月
 2016/07/23

 なんとも久しぶりの投稿、7月ももう後半だが、北陸梅雨明けの声を聞きながら、夏を目の前にやや足踏み状態の信越地方である。
 旧暦の7月を「文月(ふみづき・ふづき)」と呼ぶ。その由来は、7月7日の七夕に、詩歌を献(けん)じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説らしいが、別説もあるようだ。定説の「詩歌を献じたり」は、おそらく、短冊に書き綴ったものを笹に吊るすことと思うが、この時期「書物を夜風に曝す風習」があったというのは正直知らなかった。旧暦の7月、新暦ならば7月の終わりから9月の上旬頃となるだろうか、衣服の虫干しとも通ずるところがありそうだが、書は、見聞を広め知識を得る大切なものと考え、長く残すため夜風に曝したと思われる。そのことからも、綴られた真の情報を大切にしてきた文化と共に、その頃の人々の生きる様が見て取れる気がする。文の月「文月(ふみづき・ふづき)」とは、なんとも耳障りの良い表現ではないか。
 さて、現代社会を見るに、ネットで情報を簡単に入手、信憑性も分からず取り入れ、そのまま配信。昨今の「ポケモンGO」の騒ぎではないが、スマホで遊び、スマホ片手の通勤・帰宅・買い物・散歩と、訳も分からぬままに情報に振り回される毎日。己で考え、己の感覚で判断することを忘れた今の世の中で、旧暦の月の表現の中にあるような、人の生きる周期で繋いできた文化を、もう一度見直すことが必要な気がしてくる。今回の選挙結果ではないが、そうすれば、多少は近視眼的な判断の危うさが分かるのかもしれない。
 そんなことを考えて、梅雨の明け切らぬ山麓の空を眺めながらの山麓公園辺りの散策、さて、梅雨明けはいつなのか? 今年の夏は、かなり暑くなるということだが・・・。

◆    ◆    ◆
【掲載写真】
一枚目は、飯子菜(ままこな)。
わが国の各地をはじめ、朝鮮半島に分布。山地の林内や林縁などの乾いたところに生える半寄生植物。半寄生植物とは、他の植物に寄生しながら、葉緑素によって光合成をする植物とのことらしい。
7月から9月ごろ、枝先に花序をだし紅紫色の花を咲かせる。花冠の下唇には2個の米粒に似た白色の斑紋があり、それがこの名が付いた理由とのこと。
科目名:ゴマノハグサ科ママコナ属の一年草
学名:Melampyrum roseum var. japonicum
英名:なし

二枚目は、掃溜菊(はきだめぎく)。
中央・南アメリカ原産の帰化植物。わが国へは大正時代に渡来した。本州の関東以西で見ること出来る。小さなその花の風体に似合わず、なんともなんとも気の毒な名だが、最初に見つかったのが世田谷区のごみため(掃き溜め)だったことから付いたらしい。6月から11月ごろ、茎の先に小さな花を咲かせる。
科目名:キク科コゴメギク属の一年草
学名:Galinsoga ciliata。
英名:Hairy galinsoga。

撮影日:2016年6月30日・7月21日
撮影・コメント:クロコ改め、セット


 ◆ 早春の日に
 2016/03/05

 今日3月5日は「啓蟄(けいちつ)」、立春から雨水を経て、「二十四節気(にじゅうしせっき)」の三番目の節気になる。春の季語でもあり、誰もが知る言葉だろう。その二十四節気を、さらに約5日ずつの3つに分けた「七十二候(しちじゅうにこう)」というのがある。その7番目を「蟄虫啓戸(ちっちゅうけいこ)または(すごもりむしとをひらく)」と言い、「啓蟄」同様、温かくなり冬ごもりの虫が地上に出てくるという意味のようである。
 そんな早春、そんな3月。今月の2日に冬ごもりから目覚めたばかりの「のんび荘」を横目で見ながら川沿いを歩いてみる。日当たりの良い場所には、大犬の陰嚢(おおいぬのふぐり)、種漬花(たねつけばな)など野草が花を付け始めている。川原では、猫柳(ねこやなぎ)の花序が、銀色に輝きながら風に揺れている。三寒四温の中、この山麓の季節は春に向って確実に進みつつあるようだ。

 違憲の事実を無視をして通った法案、福島の教訓が活かされないまま再稼動される原発、和解受け入れも含めて政府の思惑が見隠れする辺野古、そして本当の怖さを隠したまま進むTPP。バラマキ、防衛費増大、国の借金は膨らみ、政治家の取り分は増えるも福祉は削られる。行く末の不安が現実のものとなり始めたと感じている昨今に、まずは政権を変えるための、その簡単方法を、皆が放棄せず真剣に考えて欲しいと切に願っている。
 そんなことを考えながら歩く山麓公園あたり、早春の風はまだまだ冷たい。本格的な春が来るのには、まだまだ時間が必要なのだろうか。

◆    ◆    ◆
【掲載写真】
一枚目、猫柳(ねこやなぎ)。殻を脱ぎ捨てて銀色の花序が顔を出し始めている。
科目名:ヤナギ科ヤナギ属の落葉低木
学名:Salix gracilistyla
英名:Rosegold pussy willow
雌雄異株

二枚目、木五倍子(きぶし)。蕾はまだ固く、総状花序(そうじょうかじょ)はまだ垂れ下がってはいない。
科目名:キブシ科キブシ属の落葉低木
学名:Stachyurus praecox
英名:なし
雌雄異株

撮影日:2016年3月3日
撮影・コメント:クロコ



 ◆ 師走に
 2015/12/31

 師走(しわす)。本来、旧暦の12月を表す言葉だが、知っての通り新暦でも12月の代名詞になっている。語源は諸説あるが、皆が忙しく普段は走らない師匠さえも趨走(すうそう)することから「師趨(しすう)」と呼び、これが「師走(しはす)」になった説、法師(坊さん)が各家で経を読むために馳せ走る「師馳月(しはせつき)」という説などが有力とのことである。

 昨年、その師走の最中に行なわれた衆院選。戦後最低の投票率。その結果、民衆の意思も、その叫びも、完全に無視され、安保法制、辺野古新軍事基地と繋がっていく。不安と危機感が大きく圧し掛かってくる年となっていった。そんな2015年も後一日で終わるが、今の国の現状に、果たせなかった大人の責任が残った。
 来る2016年は申年である。年が明け、現政権の横暴が“去る”ことを祈りながら、次の参院選は、全ての人が、唯一国政に参加できる権利を放棄しないで欲しいと願って2015年を見送りたい。
 来年、2016年が全ての人にとってより良い年になることを祈りながら、今年最後の「のんび便り」とする。

◆    ◆    ◆
昨年同様、年の最後の「のんび便り」は写真がありませんが、「のんび荘」近辺の自然はまだまだ元気です。
その「のんび荘」は1月と2月は冬眠休業に入ります。「のんび荘」がその冬眠から目覚めた頃、またここでお会いしましょう。
皆様良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。
コメント:クロコ

 ◆ 秋から冬へ
 2015/11/30

 やっと冬の気候になったのか、寒さが急に増した11月の下旬、安普請の我が住まいでは、日中でももう暖房が必要である。「冬はこんなもの」と粋がってみたいが、寄る年波のせいか、先日までの気温との格差に、我が身体は対応できないようである。なんにしても、この大きな寒暖の差はさすがに身に応える。先日までの温かさが恋しい今日この頃である。
 その温かった11月の中旬のこと。11月とは思えない気候になんとなく違和感を感じながらも、秋の名残りを残す山麓公園辺りを散策してみた。温かいとはいえ11月、木々は葉を落とし、遠めに見ても秋から冬へと変わり始めているのが分かる。冬枯れに向う風景は昔から好きだったが、今年は少々雰囲気が違うようだ。
 ふと足元を見ると、烏野豌豆(からすのえんどう)が芽を出している。これはさすがに驚いたが、周りを見れば、酢漿草(かたばみ)、犬の陰嚢(いぬのふぐり)まで咲いている。この状況を「まだ」と表現すべきか「もう」と表現すべきかなんとも言えないが、新芽を出した烏野豌豆(からすのえんどう)から「もう」が正解かな、などと思いつつカメラに収める。
 おそらく、これからやってくる本格的な寒さで枯れてしまうのだろうが、多分、それを繰り返しながら、本物の春が来るのを待つのだろう。気候変動の中、まるで手探りをするような彼らの動きに、自然と生きる処世術のようなものを見た気がした。太古の昔から繰り返されてきたであろうその処世術に、生きるものの知恵と命の意味を知る。

 戦後70年、戦争も可能になるであろう安保法案は強行採決され、着々とその方向に進んでいるように見える。辺野古基地問題からも解るが、民意は無視され、情報は操作され、報道は中立という“まやかし”で本当の力を失っている。どんなに贔屓目に見ても、今や戦前と思わざるを得ないこの現状に、過去の教訓に学ばない“人”という生物の愚かさが見えてくる。当然そこには生きるものの知恵は感じられない。
 そんなことを考えながら歩く山麓辺り、風は、まだ秋の香りを残しながら頬を優しく撫ぜていく。果たして、今年はどんな冬が来るのだろう。
今日で11月は終わり、明日からはもう師走である。

◆    ◆    ◆
【掲載写真】
一枚目:街道からのんび荘に向う途中にある「妙琴ツツジ園」。駐車場から撮影したもの。桜は葉を落として枝だけとなってますね。
二枚目:同じく「妙琴ツツジ園」で見つけた烏野豌豆(からすのえんどう)。いくらなんでも早すぎる。実感です。
撮影日:2015年11月21日
撮影・コメント:クロコ


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